パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

伊藤重夫-因数猫分解 REMIXについて(リマスタリング)

f:id:thebachs:20201211071343p:plain


2018年に出版された伊藤重夫さんの因数猫分解その他REMIXについて書いてみます。

この漫画は伊藤重夫さんが80年代に書いたいくつかの短編(コートにすみれ、因数猫分解、ワルキューレ1、塔を巡って)と2018年?に書かれた新しい短編(1922年のアインシュタイン)を一つの漫画としてつなげたものです。

ただ単純に話を繋げたのではなく、ある短編の間に別の短編を挿入するなどの編集がなされており、正にREMIXといった感じです。

不勉強ながら今までにこういったREMIX漫画があったのか私にはわかりませんが、かなり変わった趣向の漫画だと思います。ただし、そもそもとてもマニアックなマンガ雑誌に載っただけのレアな短編たちが収録されているわけで、REMIXされる前の漫画を読んだことがない人はどこかどうつながっているのかわからないかもしてません。(わからなくても十分面白いですが)

私の場合は収録された伊藤重夫さんの漫画は全て揃えていたので、今回は自分の頭の整理も兼ねて物語の構造について読み解いてみたいと考えました。

まず初めにこのREMIX漫画の流れについて整理します。このREMIXには5つの短編が以下の順番で並べられています。

①因数猫分解→②コートにすみれ→③1922年のアインシュタイン→④ワルキューレ1→⑤塔をめぐって

これを漫画が書かれた時代順に並べ直すと以下のようにになります。

⑤塔をめぐって(1982)→②コートにすみれ(1984)→④ワルキューレ1(1984)→①因数猫分解(1989)→③1922年のアインシュタイン(2018?)

これだけみても書かれた時代の全然違う漫画をバラバラにMIXしているのがわかります。

さらにこのREMIXは先ほども少し言及した通り、ある短編の間に別の短編が挿入されたりもします。具体的にはワルキューレ1の途中に塔をめぐってが挿入され(206ページ)、221ページからワルキューレ1に戻ります(ちなみにオリジナルのワルキューレ1は本当はもう1ページ多くあるのですがREMIXでは消去されています。他にもオリジナルから消去されたページがいくつかあります。)

↓206ページ(ワルキューレ1)

画像1

↓次のページでいきなり”塔をめぐって”のシーンが挿入される

画像2

↓221ページからは206ページのワルキューレ1のシーン戻る。

画像3

このREMIXや伊藤重夫さんの漫画を読んだことがない人は、書かれた時代も話もバラバラの漫画をごちゃまぜにして果たして作品として成り立つだろうかと思う人がいるかもしれません。確かに通常の漫画家の作品で同じようなことをすると全然世界観の違う、登場人物も違う漫画たちを一つにまとめるとめちゃくちゃなものになってしまうかもしれません。(ある漫画にスペシャルゲストとして別の漫画の人物が登場するというのはありますが、REMIXとは意味が違います。)

しかし伊藤重夫漫画ではそれが可能です。

まずひとつに伊藤重夫さんの漫画はいわゆるスターシステムを用いていて、主要な登場人物が同じ造形で書かれている事が挙げられます(つまり同じ顔。同一人物とは言及されませんが名前が同じパターンもあります。田村、南ちゃん)。女の子はポニーテールで、男の子は癖っ毛、サングラスをかけた男友達がいます(因数猫分解の主人公は野良猫ですが、ポニーテールの女の子は登場します)。さらに漫画の内容で言うと伊藤重夫さんの短編漫画に明確なオチはなく、会話の途中などといったぶつ切り状態で終わります。なので、そういった登場人物が共通しオチが明確でない漫画をミックスしたところで今までの伊藤重夫漫画とさして変わらない内容となるのです。

ではこれらの漫画はREMIXされることで、どういった効果が生まれているのでしょう。

これは私個人の考えですが、伊藤重夫さんの漫画をREMIXする事で街や人、思考といったモノの遍在性を表すことができているのだと思います。

例えばこのREMIXに登場する男の子(田村、南ちゃん)はある街では野球少年として存在すると同時に、別の街では映研部員、さらに別の時代では猫や科学好きの少年として存在しています。それは生まれ変わりという意味ではなく、野球少年としての物語の中に猫としての物語が同時に存在しているという事です(映研部員、科学少年も同じく)。

それはこのREMIXの中のセリフの流れからも読み取れます。

REMIX内にはいくつもの独白セリフ(登場人物の思考、心の声)があるのですが、その独白がいつの間にか別の漫画の登場人物の独白として引き継がれます。例えば、猫の思考がいつの間にか野球少年の思考に引き継がれます(そして、因数猫分解のラストで猫が足を挫いたようにこの猫の独白を引き継いだ野球少年も足をケガしています)。

さらに、同じ漫画内でも独白の分断と引き継ぎが起こります。152ページ”その本は昼間には読めなくて夜になって電灯の下になると文字が浮かび上がってくるということだった。”という独白の後に全く別の独白が挿入され、152ページの独白続きは158ページ右下”本当かと思いながらも・・・・”まで飛ばされます。これはシーンとシーンの間に過去の回想が入ったと捉えることもできますが、おそらくそうではなく、別の時間/別の時代/別の世界(別の漫画)の登場人物の思考が同時に存在しているものと考えられます(ある一人の登場人物の昨日今日明日の思考が1ページに同時に存在している)。

↓①152ページの独白

画像4

↓②152ページ まったく別の独白が挿入される

画像5

↓③158ページ ①の独白に繋がる

画像6

このような遍在性を描いたものとして有名な作品といえばカート・ヴォネガットスローターハウス5があります。スローターハウス5では物語が始まる序章の部分でこの小説はこうやって始まり、こうやって終わる、という小説の導入とオチを暴露してしまいます。そして実際に小説はその暴露の通りに始まり、終わります(さらに小説の中間部にも凄い仕掛けがありますが、かなりのネタバレになるので省きます)。つまり、始まりがあり紆余曲折あってオチにたどり着く(クライマックス主義)のではなく始まりと終わりが等価値(同じランク)として存在しているのです(アンチクライマックス)。

話を漫画に戻します。

実は先ほど話した独白の分断と引き継ぎは伊藤重夫さんの過去の漫画でもみられます。ある話の途中に未来の話の独白が平気で挿入されたりします。(例えば伊藤重夫さんの傑作長編“踊るミシン“には本編とは全く関係がないようなエルモア・ジェームスに関する漫画が載っています。出版されたバージョンではエルモア・ジェームス漫画と踊るミシンはわかれた状態で収録されていますが、初期の構造では踊るミシンの途中でいきなりエルモア・ジェームスの漫画が挿入される予定だったそうです。)

しかし、このREMIXではその遍在性がより強く表されているように思います。

今回唯一新しく描かれた”1922年のアインシュタイン”という短編は、題名の通り1922年が舞台(話の途中で稲垣足穂一千一秒物語が出版される)ですが、その話の中に1922年には存在しないはずの戦闘機が突然現れます。いままでは独白の遍在という曖昧な形を取っていましたが、ここでは戦闘機という物質としてより強力な形でその遍在性が現れます。このシーンが挿入されることで今までただのスターシステムだと思っていた登場人物が、本当に別の時代/別の漫画に偏在する同一人物として見えてきます。

↓校庭に戦闘機が現れるシーン

画像7

 

他にも遍在に関するシーンは多々あります。例えばワルキューレ1では音楽室からモーツァルトが流れてくるシーンがあり、コートにすみれではワーグナーワルキューレの騎行に変わります。そしてそのワーグナーを聴いた野球少年は前はモーツァルトだったのにというようなセリフをはきます。ここで重要なのは“コートにすみれ“の主人公である野球少年に“ワルキューレ1“の漫画内の出来事が記憶されている事です。

挙げたらきりがないのでこの辺でやめますが、この考えをまとめると、この因数猫分解REMIXは今までの伊藤重夫漫画で仄めかす程度であった遍在に関する構造を、それら短編漫画をつなぎ合わせ意識を共有させること、より強力な遍在性として物質をもった戦闘機を登場させることで明確に指し示されている、と言えるでしょう。こういった意味でもこのREMIXは伊藤重夫漫画の一つの到達だと私は思います。

最後に、

”1922年のアインシュタイン”の中に惑星探査機ボイジャーについてのセリフが出てきます。ボイジャーとは木星などの観測を目的とした無人探査船で現在でも宇宙のどこかを飛んでいます(https://ja.wikipedia.org/wiki/ボイジャー1号)。そして有名な話ですが、ボイジャーの中にはゴールデンレコードと呼ばれる地球の様々な音楽や言葉を収めた銅板性のレコードが内蔵されています(例えばロックンロールの代表曲としてジョニー・B・グッドが収録されていたり)。このゴールデンレコードはいつか宇宙のどこかにいるかもしれない地球外生命体がボイジャーを見つけた時、その宇宙人に地球の文化を知ってもらおうという目的で積み込まれました。

画像8

また、私ごとで恐縮ですが今回の因数猫分解REMIXの刊行にあたって昔自分が書いた伊藤重夫さんに関するコメントを帯に乗せていただきました。このコメントは因数猫分解REMIXが刊行されるずっと前に書いたもなのですが、この中で自分もボイジャーについて触れており、”1922年のアインシュタイン”の中でボイジャーの話が出てきた時にはものすごく驚きました。(ただの偶然だと思います,,)

画像9

もし伊藤重夫さんのREMIX漫画をボイジャーに乗せて宇宙に飛ばしたとして、地球外生命体の存在する惑星にたどり着くのは数万年先のことでしょう。そして、もし数万年先の未来にこの漫画が存在するとしたらその出来事こそ遍在性の現れなのではないかと思います。

1958年に発売されたジョニー・B・グッドを2019年に生きる人が聞いて感動することがあるように、漫画を描く、音楽を作るといった行為は今現在の人たちにだけ向けられているのではなく、その作品ができた瞬間、出来るまでの過去、できた後の未来にも向けられ、そして遍在しているのだと思います。