パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

美しき冒険旅行

 

インプット過剰な状態を改善したくて去年から新しいバンドを始めた。

月一程度のスタジオ活動だが曲もできてきて楽しい。

 

始めた当初はBloodthirsty Butchersみたいな事を今やりたいと思ったのがきっかけだったが、その感覚はまだある。(というか日毎に強くなっている)

 

Bloodthirsty Butchersを聴いて思う事は、90年代後半に出てきた他の日本のオルタナバンドと明らかに存在のあり方が違うという事。

 

歌詞の抽象性や楽曲の構成。

理論から外れていてもバンドが良いとするならOKといった感覚。

 

オルタナティブ(選択可能性)という言葉の通り、

それは楽曲の中にいくつかの可能性を内包した音楽で

その都度、その形を変えていくような(変えられるような)構造なのが良い。

 

スリーピースであることが逆にそういった選択の幅を広げているようで

自分は三人時代の音源をより好んで聴く。(無題は大名盤だけど)

 

バンドをやっていて

特に、スタジオで曲を作るような方法をとるようになってから

Bloodthirsty Butchersのようなあり方とは、

バンド以外ではありえないだろうと強く感じる。

 

誰かの生活と自分の生活、その交わる部分とはみ出す部分。

交わる部分と同じくらい”互いに素”である部分を見つける事が重要なのだと思う。

 

全員が同じリズムを刻んでいるとほんとにつまらない演奏になる。

(特にスリーピースは音が少ない分、各パートの役割がはっきりしている)

逆に、まじりあっていない”互いに素”の状態が同時に進行していく様はとても美しい。

 

(当然、構造主義的な隠れたモチーフによって”互いに素”な部分も実は結びついているわけだが)

 

"7月”にコードを付けるとすると

Dφ/D♭M7/A♭6/A♭6onA だろうか。

 

ハーフディミニッシュから始まる曲ってなに?という感じだが、

そもそも楽曲の開始が音源の開始というわけではない、とも取れる。

川のように流れている曲のある一点から始めて聞いているような感覚。

 

始まりという、ある種の予定調和からもはみ出した楽曲たち。

そういった事を今の自分はやりたいのだと。