エリックドルフィー で一番好きなアルバムはoutward bound(邦題:惑星)。
郊外へ向かう道がいつの間にか宇宙へとつながる。
引越しの多い人生だが、浅草近くのいまのマンションがこれまでで一番長く住んだ場所になってしまっていて最近すごく停滞感を感じる。部屋も物で溢れていて住みづらい。
ゲーム会社での仕事は楽しいがいつまでもこうしていることはできないなと漠然と感じている。
outward boundはエリックドルフィー の最初のリーダーアルバムだが、そのタイトルは船出という意味合いなのだろうか。それにしてはジャケの月面(火星?)に佇むドルフィーの横顔は意味深だ。
郊外、というよりかその先のフロンティアあたりで過ごした子供時代が自分を形作っていると感じることがよくある。東京で暮らすようになってからそういった感覚はほとんどなくなってしまったが、荒川でキャッチボールをしている瞬間や、夜の人のいない浅草を散歩している時などにふと蘇って懐かしい気持ちになる。
ふと飛び出してしまいたくなる感覚が最近多くて、精神的にハイになってしまっている気がする。一つの場所にとどまりすぎて自分の居場所がどこなのかわからなくなるというのは寓話的すぎるだろうか。
引越しの多かった子供時代による影響かもしれないが、数年経つと、その関係性を全て無くしたくなる衝動にかられる。唯一続けてこられたのは音楽に関わることだけだ。
この間、ようやっと"子供はわかってあげない"の映画版を観た。
沖田修二でもこの映画化は無理があるだろうと思っていたが、原作との相性はさておき割と面白かった。特に音楽がよくて誰だろうと調べたらagraphの人だった。最近この人の音楽が気になっている。agraphより本名名義の方が好き。
映画は埼玉の加須市で撮影されたシーンもあるとのことで自分の好きな街の風景が見れて嬉しくなる。
最近、ジオゲッサーというGoogleストリートビューで知らない街の景色を見てどこかを当てるというゲームを隙間時間によくやっている。
初めて見る行ったことのない場所でも、見た瞬間に良いなと思ったり、この場所は自分はあまり好きではないなと感じることがあり不思議だ。風景にも趣味趣向があり、自分にあった場所で暮らせるのは幸せだなと感じる。
沖縄の草むらの感じとか、東京の坂が多くて家が隙間なく埋まっている風景。
富山の山に囲まれて空が開けている感じ。
富山と山形と山梨が自分の心の中の風景とよくあっていることがわかった。
実は去年から転職を考えていて、何社から話も来ていたのだが
最終的には断っている。条件の面もあるが一番は住みたいと思える場所ではなかったというのが大きい。(今の場所もずっと住みたいというわけではないが)
ある程度まとまったお金もあるので富山に帰って何かやろうかなとも考えているが
まだ先はどうなるかわからない。
何れにせよ、今の自分と過去の自分と未来の自分が、それぞれ違った場所にいて
そのどれもが自分に適した場所であることはないだろう。
ただ、何かしらの瞬間にそれらの自分と邂逅できるような場所、精神状態でいたいものだと思う。完全にいま、ここだけという状態はつらい。
エリックドルフィー のourward boundを聴いている。
初のリーダーアルバムで一曲目にG.Wを持ってくるドルフィーはすごい。
船出というよりは地球脱出だ。
一度放たれた音は空気中に漂ってやがて消えていく。それは録音された音源でも同じことで。
その時、聴いた瞬間、場所によって意味合いが異なるように感じる。
初めてこのアルバムを聴いた時のぶっ飛ばされた感覚と
今の現状と照らし合わせた上で聴く時とはその意味が完全にことなっている。
今は宇宙から浅草を見ている感覚だ。
いずれにせよ秋までには色々と結論を出したい。