パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

J・Gバラードの砂漠の世界/ J・Lゴダールの並行宇宙の音楽

MTRという機械がある。マルチトラックレコーダー。トラック一つに音源を一つ記録できる。それを同時に再生すると一つの音楽となる。

音楽の録音の歴史の始まりは、当然ながら同時録音だった。マルチではなく一つのトラックに全ての音が記録される。

マルチトラックにそれぞれ違うBPMで録音した音源を同時に再生してみたことがある。当然だが混沌とした音源になるが、そこに一つの周期性のあるクリックを入れると法則性が生まれた。つまり、ここからここまでが1小節であるという明確な基準ができ、混沌としていた音源が一つの作品のように錯覚された。

1980年代。人間が感知できるのは32ビートまでだと思われていた。今ではその3倍の96ビートまで使用されている。

参考:細野晴臣-ボディ・スナッチャー

  https://www.youtube.com/watch?v=4VJaocRlnoI

違う時間にとられた音源たちを同時に存在させる装置がマルチトラックレコーダーであるなら、それを96分割する我々の頭はレイトレーシングが向上した高解像度テレビのようなものなのだろうか。

96分割を正確に行うこと、少しブレを作ることに大きな差はあるのかと最近考えている。ここまで細分化されたビートにブレを生じさせる意味はあるのか。そこにグルーヴは生まれるのか。

96分割のうち、どの音を鳴らすかでリズムは変わる。それは3拍子にも6/8拍子にも11/8拍子にもなりうる。

そう考えると1小節という概念が狭苦しいものに思えてきた。ここ数年によく聴いていた音楽たちには小節の概念が曖昧になっているという共通点があることにはすでに気がついていて、自分でもそういった音楽を作ることに一番の興味がある。

ネットで会話をすると、今まで曖昧なままにされていた同時に存在するということの難しさに気がつく。電話で話している相手は光の速度ではないので微細なズレの中で会話をする。少し前に存在していた相手の声を聞き、少し先の未来に存在する相手に向けて話しかける。

5月の2週間、知り合いと誰とも会わない期間があった。それはJ・Gバラードの小説に出てくる人のいない砂漠の世界のようだった。

私がギターを鳴らしたとして、目の前で同時にそれを聞き取り、楽器で反応を返してくれることのない世界。

マルチトラックレコーダーはトラック一つに音源を一つ記録できる機械である。それは同時ではない世界を同時に存在させる装置ということだ。(ジャン=リュック・ゴダールは過去の映画からカットアップした映像を繋げて見せた。それは同時ではないが単一世界のように見える)

参考:ジャン=リュック・ゴダール-時間の闇の中で

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砂漠の世界なのにベランダからは人が歩いているのが見える。それは不思議な感覚で、まだ同時に存在できる人たちがいるということを思い出させる。

時間の闇の中で流れる最後のテロップには

「夕暮れ」と彼は言う。
 「夕暮れ」と彼女は言う。
 「夕暮れ」と彼らは言う。

と書かれている。