先週、我孫子に行った時に買った志賀直哉の短編がとても良くてまんまとハマってしまう。文章が簡潔で美しい。そして人が一人の人格として話の中にきちんと自立していて作者の作為ではなく、人物の思考によって物語が解釈される(ように見える)。ほんとうになんでもない話でしかないのに、その描き方やシーンの選び方によってとても美しい話になるのが読んでいて気持ちが良い。
少し庄野潤三を思い出したが、庄野潤三はスローライフ的な何もなさなのに対し、志賀直哉は普通の暮らしの中にあるその人の思考や視点を端的にすくい取っている感じ。そういう意味では夏目漱石なのかも、と思った。
特に”流行感冒”という短編がすごく良くて、人間の心の不可解さというか、はたから見た時の一貫性のなさとそのうちに潜んでいるその人にとっての一貫性が物語にほんとうに少しだけリンクして”お話”になる様は素晴らしい。スナップ写真家の感性に近いようにも思う。
そこに、その人が、いる。という言葉にすると当たり前の普遍性をあくまで端的な文で書くことで物語になるという発見。
我孫子の話でもあるので、丘の感じや沼の景色が頭に浮かびながら読めたのもよかったかもしれない。また、我孫子には行きたいと思っている。(遠出をした先でキャッチボールしたい)
バンドの曲をずっと書いていて、煮詰まったり進んだりを繰り返す。
すでに何曲かはあるのでMVも撮りたいと思っている。
場所はたぶん染井野になるだろうが、MVでしかない映像にしたいなと漠然と考える。
MVにストーリー性を出すのは今はダサいなというモードなので、MVがMVでしかない映像を撮りたい。
K-POPは全然通ってこなかったがNewJeansが良くて、ずっと聞いていたりDittoのMVが素晴らしいのでよく見ている。Frank Ocean以降(というかBlonde以降)でポップスをやるには、という問いの一つの回答のような音楽に思える。ただ、作曲者や編曲者のオリジナル曲を聴いても全然よくなくて、、誰がキーパーソンなのか掴めないでいる。やっぱミンヒジンなのかな。
DittoのMVもホン・サンスのような仕掛けで面白いが、特に前後はなくても良いように感じる。90年代風の荒れた画質と無機質な学校の感じは黒沢清の学校の怪談シリーズを思い出した。ああいうなにかの予感に満ちたものがMVのMVらしさに繋がるような気がしている。(一番好きなMVはいまだに山戸結希のcosmosだし)
少し前に購入したベースを弾くのが楽しくて、宅録でもできるだけハードで音を出すようになった。今まではMIDIデータをDAW側で作って、それをシンセに送って音を出していたが、繋ぎ方を変えてキーボードをマスターにして直接ひいたMIDIデータで音が出るように変えた。(打ち込みでなく、リアルタイムで演奏する感じに変更)
当たり前だが、クオンタイズされない世界になるので、撮り直しもあるがその分、チャンスオペレーション的な作曲もできて面白くもある。
散歩のついでによく行く。両国にyatoという本屋もあって(ここの本の品揃えが素晴らしい。そんなに大きな店ではないが、新刊で大きな本屋では探せないような面白そうな本がたくさんセレクトされている。)
近所の本屋事情はほぼ完璧な気がしている。Bookoffもあるし。
古書ほうろうという古本屋があって、今は東大近くにあるが
数年前までは千駄木にお店があった。
フロアも広くて、23時くらいまで開けてくれていたので
曲が煮詰まった夜に都バスに乗って西日暮里で降りて歩いて行っていた。
あの時期にあの店で見つけた本やCDはほんとうに良いものが多かった。
自分がアメリカ文学にはまっていた時期だからというのもあるが、
買う本全てが面白くて、しかも買った本に関連する本がお店にたくさんあるので
読み終わるたびに通っていた。あの時期の読書環境が人生で一番よかったなと今でも思うが、現在もそれに近いので満足している。(もう一軒、漫画や写真系の本を置いてるいい感じの古本屋が近所にあれば良いのだが)
くまざわ書店では志賀直哉の和解を購入。暗夜行路の前に助走をつけたかったので。
野崎まどのタイタンが文庫化されていて買おうか迷ったが、ハードカバーで読んだ時にピンとこなかったので見送る。最近新刊出してないので寂しい。
くまざわ書店はマンガコーナーもあるが最近はあまり新刊の漫画欲がなくてのぞいていない。店頭で表紙買いして衝撃を受けた漫画はたぶん町田洋の惑星9の休日が最後だと思う。