バートバカラックばかり聴いている。
改めてバカラックのオリジナルよりカバーや提供曲の入ったアルバムの方が思い入れが強いなと感じる。
ジムオルークがバカラックの曲を集めてカバーしたアルバムが最も好きで購入してから現在まで本当によく聴いている。
あとはworld standardの鈴木惣一郎氏がプロデュースしているバカラックカバーアルバムを購入して聴いたり。
その中で "me japanese boy,baby i love you"という曲を知って大変感動した。(動画は探したがなかった)
いわゆるジャポネズリ的な曲だと思うが細野晴臣のトロピカル風味でカバーしていて大変よい。poshを作った人なわけだ。
バカラックを聞いて、やはり曲が良いなと思う。
あらゆる曲がカバーされているがその根本にあるインスピレーションが失われないのはやはり曲そのものの強さなのだろう。名曲と呼ばれるものの中にも実は編曲が良いだけで曲そのものは大したことはないものがあったりする(別にそれ自体は悪いこととは思わないが。編曲も作曲だと思うので)ただ、ここまでカバーされてもバカラック的な何かを感じられるのはすごいなあと単純に感心したりする。
昔、何かのインタビューで日本のバンドの人が(ゴーイングアンダーグラウンドだったかな)CMで自分の曲がかかって友達から"あの曲、お前が書いたの?"と聞かれて初めて自分の曲にアイデンティティが宿った気がしたみたいなことを言っていてなるほどと思ったことがある。
最近、磯崎新の本を読んでいるからかもしれないが、
自分はこれまで編曲こそ作曲だと思っていたが
もしかしたら編曲はキッチュ化、POP化という行為に近いのかもしれないと感じ始めている。少なくともバカラックの原曲に何かに対するテーゼを感じることはなく、ただバカラックの良い曲、良いメロディー、変な小節割、1小節多いメロディーなどがあるだけでそれが作曲の素晴らしい一面と思えた。
ペイヴメントの来日公演に行くので平日に休みを取った。
また、染井野に行って平日の住宅街を歩いていた。
本当は染井野に良い温泉があると聞いていたのでそこに行くつもりだったが
平日でも割と混んでいて、その奥にある山を進んで見たら森の中に神社やその跡地がいくつもあってだんだん面白くなってしまい温泉は入らずじまいで歩いて回っていた。
臼井から佐倉の間は田園地帯の間にいくつかの丘がのこされていて
丘の下には綺麗な住宅街やショッピングモールがあったりするのに
一本坂を登って丘の中に入ると全く時代性の違う田舎然とした区画が現れてびっくりする。(ただ、こういう場所もだんだん減って行くのだろう。あちこちで工事をしていたりするし)
住宅街と昔然とした区画の人々が同じ温泉で交流している様を考えて、意図せずそういう都市デザインとなっているのが割と理想的だなと思ったりした。
平日の昼間だったが中間試験帰りなのか高校生が結構いて、染井野団地の方へ帰って行くのが見えてこの街で育つ子供達はどんな遊び方をして、どんな繋がりができるのだろうと考えたりして歩く。
少なくとも、幼少期にこの迷路のようで、重層的で、表裏反転している不思議な街で過ごすことができればとても面白いだろう。
自分は子供の頃、数年だけ愛知県の警察学校に住んでいたことがあって(親が警察なので)かなり広い敷地に体育館や森やバスの試運転のための道路などがあって、それに対して住んでいる人が少ないのでかなり特殊な場所を子供だけで独り占めして遊べた。
森はマムシが出ると言われて入ってはいけない場所としてあって、その近くまで行って奥の闇を眺めたりした。一度だけ、幼稚園の時の幼馴染が富山から遊びに来てカブトムシを取りに内緒でその山に入ったことがある。その時もマムシの話をしたら、友達が逃げ出したので奥までは進めなかった。あの環境に表裏反転するような仕掛けはなかったが、アクセスできない場所が(それが精神的なものだとしても)自分の生活圏内にある暮らしはそれだけで話が生まれ、噂を呼び、イベントが生じると感じる。
東京にはそういう場所が少ない。
ペイヴメントのライブは最高だった。文句なし。