パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

stereotype・A

12/12は小津安二郎の誕生日で命日。人間ドックで休みを取ったので朝イチで病院へ。バリウム飲んでテンションが上がる。帰宅してから"晩春"を見る。最初の数カットで角度を変えて撮られる同じ部屋のシーンが少しずつ頭の中で立体になっていく感じがすごい。小津安二郎が海外でも観られるのはこういうところなのだろうと思う。逆に脚本のところは正直ほとんどどうでもよくて(話が面白くない、というわけではなく、話の筋だけで完結する様な映画ではないということ)何回か別の人がドラマか映画で作り直しをしている作品もあるけどそれは違うのではと思う。小津の映画をやりたいのであれば、ヴェンダースとかアキ・カウリスマキがカットや演出で引用する様な演出側でやるべきだと。

夏目漱石の猫を読み切る。おもろい。そして、いよいよ読むものがなくなってきた。

小津の次になぜかジョンカーペンターのエスケープ・フロム・L.A.を観る。ずっとアホみたいなシーンの連続なのだが隙がないというかずっと画面を見させられてしまう。この人にもっとお金を渡したらどんな映画になるのだろうか。

錦糸町駅前のくまざわ書店へ行く。ここ数年通っているけど流石に本棚の傾向も覚えてきて、最近は特集の棚もあんまり面白くないのでほしい本がなかなか見つからない。ジョンチーヴァーの短編集と文章をちょっと読んで良さそうだった丸谷才一の樹影譚を買う。丸谷才一は今まで読んでなかったけどすこぶる面白い。なんでもない話であるのだが、それこそ小津安二郎の脚本とは違って、会話の繋げ方、場面の繋げ方、一人称の繋げ方で話そのものが面白くなる。ただ、小説は物語と文章が直結しているのであるから演出≒物語という様な関係になるのであるが、筋書きだけ書くと本当に何でもない話だ。"鈍感な青年"の図書館員の視点、青年の視点、作者の視点という流れによって、物語のテーマが青年には"鈍感"さという意味づけと並列して伝わらず、読者にのみ伝わる。さらに、印象的なシーンと二人のディスコミュニケーションのもどかしさとその他人への伝わらなさが、なんでもないはずの話が、かけがえのないものの様に思えてくる。

 

年末の予定を整理する。坂本慎太郎のライブ、バンドの練習と忘年会、富山への帰省、いくつかのみたい映画、そして足利市への旅行。16連休もあるのでなんでもできるな。

新しいエフェクターの設定が固まってきたので今作ってる曲のギターを改めて録り直す。いい感じ。

ラジオを聴いてたらチボマットのスプーンが流れてきたので久々にステレオタイプAを聴く。こういう渋谷系からゴリラズに至るまでにあったヒップホップ的なビートに60年代のポップス的な引用とラップがのっかった曲がすごく好きだ。ゴリラズがヒットしすぎて2000年以降で段々と衰退していく感じだと思うけど最近の90年代ブームでこの辺も掘り返されたらいいな。

 

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