パラレル通信

composer/ゲームハードの音周りのお仕事/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

いきのこり

"世界が生まれた朝に"を読み切る。素晴らしいかった。

途中でディエンビエンフーの戦いの話が少しだけ挿入されて、ちょっと思うこともあって西島大介-ディエンビエンフーを読む。そのつながりでヘミングウェイの"河をわたって木立の中へ"を買って読んでみる。ヴェネツィアが舞台の話だが、ベトナム戦争帰りの兵士が登場人物でまだ途中だけど、あんまり風景描写がなく執拗なくらい会話を描いていく小説だ。面白いのかよくわからないけど、三島由紀夫とかと一緒で文章が上手い人はとりあえず読めてしまうから罪だ。(ヘミングウェイは翻訳だけど、ニュアンスでやはりうまさは伝わってくる)

EHXのecho flangerが先週届いて色々楽器のセッティングを作る。かなりいいエフェクターでコーラス、フランジャーのエフェクターだけどキルドライのスイッチがついていて、wet音だけにすると自分が欲しかったビブラートに少しモジュレーションがかかった感じの音ができてようやく理想の音になった気がする。

飛び石連休だけど月曜も休みにして4連休。映画でも行こうかと思ったら見たい映画もないし、東京国際映画祭もなんかパッとしない感じ。錦糸町のTOHOが改装するようで休みだし家で映画を見る。"親愛なる日記"という映画を見て、結構面白く見たのだけど、90年代の映画なのに4Kレストアだからか2010年代みたいな画面でちょっと混乱した。映画の要素として当時良しとした画面から変わってしまっているのではと思ったりするがどうなんだろう。技術が発達するのはいいと思うが、綺麗なことがいいわけではなくて、あくまで現在の選択肢が増えるだけなのだから、過去の作品を改変してしまうような変更ってあまりいい試みではない気もする。(全然別の映画として編集し直すというものでもない限り)

 

youtubeでレストア前の予告を見たが絶対にこっちの方がいいと自分なら思う。特に第一章のただベスパでイタリアの街を見て回るだけのシーン(おそらくローマの休日からのパロディ、男一人でやる)ではその街の建物や木立の光なんかは絶対フィルムの質感のほうが美しく捉えられているように思う。


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30~50年代とかの、明らかに画面が劣化して見づらい映画をレストアして見やすくするのであればわかるけど、普通に再上映するだけだどやっぱり映画ファンは観にこないのだろうか。見にくると思うけどな。

 

秋も深まって聴く音楽もだんだん穏やかになってくる。学生の頃からずっとニックドレイクの良さがわからなかったのだけれど、何となくこのタイミングで聞くと結構グッと来た。ファースト、セカンドはストリングスとかも入って割と豪華な音だが、最後のアルバムのpink moonは予算の関係もあってかほとんどギターと簡易的なパーカッションだけ。インストっぽい曲もギターだけで演奏されていて、これ本当はストリングス入れる予定だったんだろうと思うけど(タイトルHornだし)、今の自分のモードにはこちらがあっていて、ちょっとジョアンジルベルトの無理やりギターで何かを成そうとする感覚ともつながってよい。ニックドレイクは自殺してしまったという点で妙に神格化されてしまっていて、それこそシドバレットとかああいう精神異常的な視点で名盤と祭り上げられているように思ってしまうが、pink moonの演奏をよく聞くとギターのベース音とテンションの音を少しずらして(平均的なリズムでなく跳ねる位置にベース音を配置して)演奏していて、あんまり他にない演奏で面白い。

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最近はガットギターで曲を作っていて、ついでに青葉市子の曲も練習して見たりする。いきのこりぼくら弾けるようになった。ガットギターだと解放弦の音がしつこくなくて、かなりハイポジションのベースオンと、テンションで開放弦を混ぜて色々変な演奏ができてアイディアがいくつか出てきた。でもこれエレキでどう表そうか。

つ・き・ま・つ・り

所用で10年ぶりくらいに青砥駅に降りる。何も変わってなくて、東京でこんな変わらない街もあるんだなと驚く。合計でも5回くらいしか来たことないと思うけど地理の感覚も何となく覚えていて、東京で家を探していた時に使った不動産屋がある三叉路もそのまま残っていたりして変な感じだった。週の頭からちょっと風邪気味で熱はないけど気候も暑くなったり寒くなったりで何だかやる気が出ない感じではあったけど、この日は秋晴れで平和公園というめちゃくちゃ広い公園でぼーとしていた。観光客もほとんどいなくて、時間帯もあってか駅から公園まで小学生の通学と並行して歩いたり、何棟もある団地が近くにあって(それも結構新しい感じ)地方都市の風景がそこにはあって、浅草から30分くらいでこんなところに来れるのかというのを知れて、たまに逃避行したい場所の一つに加えた。

所用はうまく行ったと思う。

ガルシアマルケスのルポ本を読み終わって、あちら側の世界の話を読みたくてAIにいくつか候補をもらう。その中でアフリカ版百年の孤独、とか言われていたエマニュエル・ドンガラの"世界が生まれた朝に"を買う。大体において⚪︎⚪︎の何何みたいな比喩は失敗するけれど、これは結構なるほど思った。マルケスのようなあっち側まで身を浸すような文体ではないので、そういう意味では期待はずれだが、国の始まりと終わりがほとんど冗談みたいな速さで語られる様は、確かに百年の孤独にも通づる、ある種の特殊な寂寥感がある。"世界が生まれた朝に"はほぼ史実に近しいことが語られているように思うが、そう考えると百年の孤独も文体さえ剥ぎ取って仕舞えば確かにこの世にあったことなのかも知れない(そう思うと寒気がするが)

 

ジョアンジルベルトの映画(ジョアンジルベルトを探して)があったのでちらっと見たが、音楽がジョアンドナートで映画の中にも登場するので驚いた。ドナートとジルベルトが親友だったなんて知らなかったけれど、確かに名盤Muito A Vontadeのあの簡略化されたパーカッションの感じはジルベルトがギター一本で到達した感覚にも近しい。ドナートの方は一応トリオ編成だけど、スネアが入るところがおそらくブラシで強弱をつけたハットで代用され、リズムはあるのに内へと内向していく。二人のコラボ版とかあったりするのだろうか。

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アッジュスタメンテ

ジョアンジルベルトの最後の来日公演の動画を見る。素晴らしい。

どちらかというとジョビンの方を熱心に聞いていたけど、このライブ映像で一気に心を掴まれた。ジョアンジルベルトはアルバム"三月の水"を結構よく聞いていて、変な演奏だなと思いつつも何が変なのかよくわかっていなかった。有名曲の三月の水もなんでこんなに平坦に引くのだろうと思っていたけど、ライブの演奏を見てベースの音をずっと1、3拍に均一化して全くブラさず、そのかわりにテンションがわの音をシンコペーションさせることでグルーヴを出しているのだとようやく気づいた。アルバムでもパーカッションとギターだけでベースはいないわけで、制約された中であえてベースを固定するという選択に痺れる。

ベースを足せばいいという視点もあるけど、そうするとあの内向へと向かうようで、静かにグルーブしていくあの雰囲気は出ないだろう。ボサノバはイメージだけだとイージーリスニング的に聞き流してしまうことも多いがするが、ジョアンジルベルトにおいてはグッと心を音楽に寄せて入り込む必要があって、一度掴まれたら深い深い闇へ引きづり込まれるような怖さを持ったものだ。

ライブ映像でも特に派手な演出もなく、三月の水なんてほとんど演奏を追い越そうというくらいメロディが転がっていて、一歩間違えたら台無しになってしまうような演奏だけれど、静かに静かに淡々と刻まれるベースラインと、シンコペーションしていくテンションコードのうねりが、ほとんどかすかに空気をかき混ぜていくのが目で見てわかる。最後にイパネマの娘をやって観客も総立ちの拍手で終わるけど、その気持ちはわかる。


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アヴァランチーズの新譜が出てたので聞く。かなりいい感じ。細野晴臣がfeaturingになってる曲があってボーカルやってるのかと思ったら最新作からのサンプリングでこんなできたてほやほやのサンプリングもありえる時代なんだなと思った。(制作からリリースの間にあったプロモーションがいまもうないからこういうのが可能なんだろう)

 

山下達郎のJOY2も届いて聞いているが流石に長すぎるので全編通しては聞けない。3はずっとさきだろうからじっくり聞こう。

なんだか時間があるけど見たい映画もなくて本を読む日々。

ガルシアマルケスの幸福な無名時代が文庫化されていて読むがとても面白い。有り体な感想だが、ルポの形式で書かれているけれどフィクションとの境界が曖昧で、突然美しいシーンが挿入されてハッとする。マルケスの諸作が口頭伝承をモチーフに書かれているというのもあながちハッタリでもないのだろうと思った。

 

突然炎のごとく

海街diaryを読み切る。最後8,9巻は読者に対するサービスみたいな面も多くて、大団円に向けてテンションを高めていく感じでそれまでの冷静な演出は薄れる。それでも最終巻で、夏が終わって、すずたちもサッカーチームから引退するという描写を、風が冷たいという描写で済ませてしまう潔さに痺れる。

 

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この場面ですごいと思ったのが、独白の吹き出しが人物から少し離れた右から、左へと移動してくるところで、人物の意識が、右側から吹く風まで届いていて、それが左から奥の海へと流れていくのがわかるところだ。風を描くという描写で擬音も風の線も書かずに、意識の動きを吹出しで表すことでやれるというのがものすごい発見な気がする。こういうのは白山宣之がやっていたりもするけれど、漫画において描くことだけが手法ではないことを思い知らされる。

繋がりでラヴァーズキスを読もうと思ったら売ってしまっていたようで再購入。届くまで待つ。

 

今週は月曜にNHKホールで山下達郎、木曜にリキッドルームでsummer eyeを見る。山下達郎は昔ライジングサンで見て以来だったが声が変わらず出ていた。NHKホールとの相性が自分は悪くて毎回3階席なのだけれど、音が小さくてグルーブという面ではあまり感じることはできなかった。セットリストはかなりいい感じだったが、50周年のサーカスタウンからは表題曲だけで、一番好きなアルバムなのでその辺は残念。希望という名の光で中盤に蒼氓のイントロのシンセが加わってくるところでゾッとする美しさを感じた。後半は結構こういう曲中で複数メドレーにするみたいな感じでやっていたけど、蒼氓のアレンジみたいなハッとする感じのところは少なくて、もうちょいイカれたアレンジにできそうなのになーと思った。多分、音源にするときに死ぬほどアレンジしている人だと思うし、観客への誠実さとして音源からの再現みたいなところに美学を持っているように思うから自分の曲を壊すアレンジはしないのだろうけれど、たとえばビートルズのLOVE(ジョージマーティンがビートルズの音源を使って複数曲を組み合わせて組曲ではなく別の曲に仕上げたアルバム)のような歪な構成があってもいい気はした。たくさんの音源がある人だし、曲の偏在という意味で時代性をなくして新しい曲にできるように思う。

 

summer eyeは年々客層が若くなっていって健全な感じ。去年同じ場所で聞いた浦添は当時感じた通り1番のアンセムに成長していて、一番いい場所で一番いい照明で演奏されていた。客側もそれをわかっていて1番の盛り上がりになっていたけれど、これまだアルバムには入ってないんだよなーとも思って、もう本当にアルバム単位でなくそれぞれがプレイリストを組んで日頃聞いてるんだなと身をもって感じた瞬間だった。

あとは、カバー曲たちも熟練の感じに仕上がってきていて(ブルーハーツの捨て駒はやらなかった)、ある程度予定調和なところも出てきた気もするので、次はどうなるのだろうと言ったところ。そろそろアルバム出してほしいなー。

 

読む本がなくなって本棚から適当にとって読んだザスコットフィッツジェラルドブック(村上春樹のフィッツジェラルドの関するエッセイ)がめっちゃ良くて、スコットフィッツジェラルドをいくつか読み返し始める。高校の頃にグレートギャツビーを読んで、語り部と主人公が違っていたり、めちゃくちゃ華やかに始まったのにずっとウジウジくらーい話が続くところに理解が追いつかなかった記憶があって、それ以来熱心には読んでいなかったが、マイロストシティーとかいくつかの短編は確かに頭に残っていたし、いつかはちゃんと読まないとなという人なので読める本を集めてみようかと思う。

エッセイに載っていた自立した娘とリッチボーイはどちらも華やかな世界から悲劇へと続く話だけれど、今読むと、愚か者の話として儚さと美しさとほんの少しの痛みを伴って読める。ああ、これは人生を重ねないと読めない本なのだなと思うし、そういう痛さというか、青さも含めて魅力を持っている人な気がした。(こういうのは冷笑してると読めないので、ある程度青さに身を委ねて読もうと思う)

 

 

 

遠い雷鳴

なんとなく海街diaryを読み出したら一話目があまりにも良すぎて泣いた。たしか一巻が出た時に買っていて、その時はちょうどふたつのスピカも連載中でそちらに夢中だったのと、同じ鎌倉が舞台だけれど海街の方はちょっと地味すぎて心地よいけど良い話の漫画以上にはならなかった。(ふたつのスピカも地味だが、良い話でまとめない謎の歪さがあってあちらも素晴らしい)

完結してから数年経って全巻買い直してその時も感動した記憶はあったのだけど、読み返しはしなかった。描いている話があまりにも人生の話であるので、一度読んでいればそれでもう地肉になるくらいの強さがある作品ではあるが、ほぼ忘れた状態で読み返してまた同じようにクラっている。

一話の"蝉時雨のやむ頃"で最後の最後に蝉時雨の擬音が消えて、すずの鳴き声もかかれないカットの静かさと悲しさと、ああこれは漫画でしか描けない、という演出にとんでもないなと思った。正直、吉田秋生は結構絵がばらつく印象で桜の園あたりの絵が一番好きでそれ以降は線が柔らかくてちょっと心許ない感じと思っていたのだけれど、その危うささえもこの作品の魅力のようにも思う。背景もきちんと書かれているけど、白が基調になっていて、それでも木々や、草花の描写できちんと濃淡があって心地が良い。連載当時は2巻くらいで追うのをやめていて、それは新刊が出るペースがかなり遅かったからで、今見ると大体2年に一巻のペースのようだ。それもこの演出を見れば納得するというか、漫画において音をきちんと演出として(しかも音楽漫画とかでなく、自然の音を使って)機能させている作品を不勉強ながら自分はあと白山宣之の地上の記憶(の最初の2作)しか知らない。

今は6巻まで読んだが、朝ドラみたいな話だなと思ったり、長く続くことでおんなじ話が何回も語られたりするところにちょっといなたさを感じたりはするけれど、演出の冴えが凄すぎて全く強度は変わらず読める。

今連載している歌詩川百景も途中で止まっていたが(こちらは海街の後に読んだのですごいと思いつつも、一気読みできない辛さがあってやめた)完結したら全部読みたい。

 

 

 

それで、当たり前のように鎌倉に行きたくなって色々とポイントを探り始める。数年前にそれこそふたつのスピカの風景を見たくて極楽寺周辺に行ったけど静かで良い街だった記憶。(ホテル見たら11月ごろは紅葉らしくて5万とか平気で言っててビビる。京都と違って日帰りできるけどゆっくり泊まりたいな)

 

物件サイトを見ていたらずっと気になっていたマンションに空き部屋が出ていたので内見に行く。八丁堀と月島の間。たしか三月のライオンの主人公の部屋のモデルになったところだったはず。窓から隅田川と中央大橋が見える部屋で設備は古いけど景色は最高だった。リバーサイドのランニングコースも徒歩数秒なので環境としては最高だなと思ったが駅から遠いこともあってちょっと迷う。

とりあえず保留して佃~月島周辺を歩く。この辺は諸島のような感じで小さい島がいくつか橋でつながっている区画で街と街の間に水路が張り巡らされていて面白い。碁盤目状の道ではあるが島と島の位置が斜めになっていたりするので、向こう岸がこちらから見て斜めな道になっていてあくる人を見ると、頭の中では道がない場所に向かって歩いていくので面白い。

佃の小島にいい感じの神社があってそこを抜けると隅田川のテラスに向かう階段の前に赤い鳥居があった。そこを抜けて進むとなぜか森深い公園があって、中央大橋→川沿いの公園→佃の区画→神社→中央大橋という感じでぐるっと回ってきていたイメージだったのでその真ん中に森があるなんて想像してなくて地図にない場所のようで面白かった。

公園も多いし、月島まで行かなければ人もそんなにいないので静かに暮らせそう。川沿いの公園もベンチがたくさんあっていいけど、残念だが隅田川のにおいはここでもよろしくない感じで、鴨川を見てきた後だと全然違う環境だなと思ってしまう(当たり前だが)東京だと西の方の野川まで行かないとちゃんとした自然の川はないよなー。