福永武彦の廃市を大林宣彦が映画化しているが、久々に観ると幻想的な街の作りと物語の予感に満ちた序盤の10分くらいの流れと、それが単純な人間関係の矮小さに収集されていく感じが両方あって傑作とは言えないがたまにみかえしたくなる映画だ。
棚を漁ったら原作の文庫が出てきたので読んでみたがほとんど脚本はそのまま使っている印象だった。
福永武彦は舞台の柳川を特に取材はせずに書いたというが、水によって繋がれ、分断された街の腐敗していく気配がそのまま物語とリンクしていてちょっと出来過ぎな気もする。(そういう街だからこういう物語が呼び起こされた、とも言えるが)
本場の水の都のヴェニスと違い、木々が川面にせり出して生い茂る風景は見ているだけで美しい。そういう映像を残せただけでも価値があるのではないか。
この映画が取られた後に水路は泥やゴミの問題で一度再起不能になったらしいが、そのあたりの話は高畑勲の柳川掘割物語で撮られている。
ここまで魅力的な街なのに映画としてはこの二本くらいしかロケ地として使っていないのが不思議だ。
土曜日。先週書いた曲がかなり良くてその前に書いた曲とのバランスが取れず、昔の曲のアレンジを検討していた。Great3の感じを今やったら面白いでは、と思ってそういったアレンジで直している。
この日は雨だったのでずっと家で作業。村上春樹の新作も届いたのでちらっと読んだが、元々が昔の長編(世界の終わりと~)の下敷きに使った中編を書き直したものという背景から、世界の終わりと~、の話とリンクしていて今更感があってあまり読む気になれなかった。(話としては全然違うが世界観が共通していて、自分が”世界の終わりと〜”をなんとか読めるのはその世界観のところの面白さだったので単純にそこが共通しているのがきつかった)大江健三郎が同時代ゲームをM/Tで書き直したという例もあるが、村上春樹の方はあまりうまくいっているようには思えなかった。(単純におじいさんくらいの年齢の人が純愛の話を書いているのがきついというのもある)最後まで読んでないのでなんとも言えないが、GWに暇があったら読みたい。
同時並行でコンラッドの短編"青春・台風"を読んでいてこちらがめちゃくちゃ面白かったので闇の奥を改めて読んだ。昔、岩波文庫版を読んだときは小説の舞台からいわゆるラテンアメリカものとして読んでしまいあまり楽しめなかったが、"青春・台風"の後に読むと船の冒険物として単純に楽しめた。(今回は新潮文庫版で読んだが訳が良いというのもあったと思う)
密林という闇の中に入る。その闇の中に入り込んでいくと別の闇があって、人間の中にも闇があってという何重にも重なる闇のイメージは単純な構図であるが迫力がある。
闇は、つまり方向をなくすということなので、最初の闇と今自分が捉えている闇が同じ者なのかという不安感が発生する。闇の中にある闇を人は見分けることができないだろうが、そこに"ある"といつ恐怖を文章では書くことができる。
日曜日。友達の予定があったので早朝に久々にキャッチボールに出かける。楽しい。
キャッチボールは荒川でやっているが朝7時だとさすがに人も少なくてよかった。
帰ってきてもまだ10時前だったのでベランダで本を本だりして過ごす。
お昼に天気が良くなってきたので特に理由もなく埼玉のせんげん台へ。
ここは漫画家の白山宣之氏がコスモスという作品で書いていた街で(実際に住んでいたらしい)いい感じの川もあってブックオフもあるのでたまに散歩にいく。
ブックオフに寄ったらなぜかブルーハーツが大量に入荷していてちょっと迷うが、今聞くとパンクに当てられそうなのでやめる。ちょうど、土日はコーチェラの配信もチラチラ見ていたがここ数年に出てきた90'sオルタナやパンクの流れから新しいことをしているバンドがきちんと人気を掴んできているのがわかっていいなと思ったが、リンダリンダズは結構ヘイトというか変な誤読をされてしまいそうと思ったりもした(悪いことではないが、音楽性でなくジャンルで語られてしまいそうと思った。それを今の高校生が間違って聞いてしまうのはもったいない。オールドファンたちが過去の音楽とのリンクを喜ぶのではなく、きちんと新しさの方を褒めるべきだと思う)
せんげん台にいたら雨が降ってきたので早めに帰る。途中の越谷あたりで電車の中でゲリラ豪雨に遭遇してなんだか夏みたいでテンションが上がったが、そのまま電車に乗っていたら北千住あたりで晴れてきて電車の移動距離を感じた。
出先では特に買い物もしなかったが、コンラッドをもう少し読みたくなったので柴田元幸訳のロードジムをアマゾンで購入。