パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

都会の密林の語り部 (1)

晩夏の夜を歩く。

 

 kip hanrahanの音楽を聴いているとフレーズとフレーズのつながりがないように感じて混乱する。ニューヨークの街のいたるところにマイクを仕掛けて、話し声やサックスプレイヤーの路上演奏や車の喧噪や、闇を流れる川の音が無作為にミックスしたような混沌。共通するのはその音が録音された瞬間に流れていた街の空気が同じということだけだ。それがクリックとして共有されていればある程度の秩序が生まれ、そこに偶然音楽としての形が出来上がるのかもしれない。

 

 8月もすぎて早朝や夜になればある程度涼しくなってきたので、朝と夜にそれぞれ散歩をする。都会は朝でも人はいるが意外と夜の街は静かで、必然的に夜の散歩の方が長くなるし距離も増す。橋の下ではカルガモたちが暗闇の中、身を寄せ合って眠っていて昼間はそれを眺める人の群れで溢れている川辺も今は誰もいない。静かに雲が通り過ぎるが、この街の空には巨大な電波塔があって、その空の高さを遠近法で可視化させる。眠りに落ちた、巨大な倉庫の壁にヤモリが一匹張っていて、蚊の到来を待っている。その下の草むらと壁の間にある鉄柵を野良猫が歩く。

橋横にある階段を登れば住宅街に出られる。kip hanrahanの音楽にはコンガの音が欠かせない。今も耳の中でなっていて、それは安易に密林の雰囲気を醸し出す。

 

 都会にも草むらはあって、それはビルとビルの間に突然現れる。都会は店やビルが潰れては建ってが繰り返されるイメージだが意外とそのまま放置されている土地もある。おそらく国か区の管理下なのだろうが、そういった草むらはロープではなく鉄網が張り巡らされていることも多い。散歩の途中でふとそういった景色に突き当たる時、容易に心が驚かされる。都会の中にある密林は特に夏の間に草の背を伸ばし、その存在感を増している。周りを囲むビルやマンションは木漏れ日とはいかないが巨木のようにその影によって、密林の存在感をさらに際立たせる。

 

 コロナ以降で街には変な動物が増えたように思う。ヤモリだってここ数年で見かけるようになった。ハクビシンのような獣が電線を渡っているところを見たこともあるがその影はハクビシンにしては大きすぎた。電波塔が狂わせる遠近感。

 

 都会の密林に迷い込むには明確なコードがあって、ただ単純に散歩をするだけではいけない。橋を潜り、野良猫を見かけ、ヤモリが張っている壁を見上げその向こうの月を確認する。そして誰もいない住宅街で、不意に光の点滅が一致する信号機を見かける。遠くで電車が高架を過ぎる音に振り返るとそこに密林があるのだ。

 

 この街は埋立地でほんの数百年前には海だったわけだ。だから今見ている密林はもちろん幻覚でこの街の過去の記憶なんかではない。それでも、それはそこにあって、知らない動物たちをその闇の中に隠している。密林は私の頭のなかのあらゆる映画や小説や過去に見た風景や音楽やそういったものたちの遍在によって立ち現れるのかもしれないし、全く別の全然しらない他人のそういった記憶の粒子の結晶なのかもしれない。

 

 誰かが風景を語る時。

そこに風景があるわけではなく。それは音楽と一緒で言葉や記憶や音符やリズムによって変換されている。それらは完璧ではないので元になった風景を完全に再現されることはない。そういったズレ、間違い、ミステイクが新しい風景を生んで、知らない動物たちを闇の中に住まわす可能性はある。

 

 Kip Hanrahanの音楽は突然に終わり、それは街に仕掛けられたテープが切れてしまったように唐突だ。one,past。

 

音楽プレイヤーを見る。その曲名にはIn place of a morale - Geographyとある。

ここはニューヨークではない。それでもその地理的距離に意味はあるのだろうかと思ってみる。