パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

Walk Bird

友達が忙しいらしく週末のキャッチボールの予定がなくなった。

割とルーティーンを組んで生活しているので急に空き時間ができると散歩するくらいしかやることがない。(村上春樹だったか、毎朝きちんと起きて決まった時間に小説を書くみたいな話をしていて、自分もそういった生活があっているので、きちんと時間割を作っている)

散歩しながら音楽を聴いていて最近のHipHopの譜割りが歌に近くなってきたなと考えたりしていて久々にカバーを思いつく。OMSBの去年出たニューアルバムがとても良かったのでその中でオールドスクール的なやつを選んでカバー。最近はロックバンドのボーカル一辺倒だったので舌が回らない。

 

soundcloud.com

 

日本のラップを意識したのはSIMI LABからなのでいまだにその辺りは追っているが、

フリースタイルとかはいまいちよくわからん。SIMI LAB近辺の人は割と地味目な日本語ロックを聴いていた世代(はっぴいえんどくるりあたり)には響くんじゃないかなと思う。引用の仕方や、アルバムの作り方が話題性でなく、きちんと自分の歴史に系譜立てられていてその向こうの先人たちが見える感じ。

 

ceroが出てきたときは驚いたと同時に、自分のやりたいことを全部やられたと焦ったりもしたが、SIMI LABはHIPHOPだったので純粋にすげーと思って聴いていた。

サンプリング自体が久しぶりだったり、最近生ベースを買い直したりと

割と音楽的な生活が戻ってきている。(バンドの曲はずーとコツコツ作っているが)

 

バンドのメンバーから前に提出してきた曲の修正版が届いた。すこぶる良い。

めちゃくちゃハードコアだが歌が乗ったら良いだろうなというアレンジに変わっていて感心した。

演奏力が求められるので練習する。

 

 

手賀沼

日曜日は前から行ってみたかった我孫子に散歩へ出かける。

千葉に住んでいた頃は柏にディスクユニオンタワーレコードや映画館があってよく行っていたが我孫子までは出なかった。(レコ屋も映画館も古本屋もないので)

 

数年前、乗代祐介の旅する練習を読んで、利根川を歩いたときは取手駅から歩き始めたが、最近読み直したら小説では我孫子から始まっていて、志賀直哉の資料館みたいなところもあるらしく興味が出ていた。

 

西国分寺に住んでいたことがあって、あの街並みが好きだったのでずっと西東京への幻想みたいなものがあったが、去年適当に散歩しているときに佐倉市の染井野団地や幸手市の巨大なビオトープをみつけて武蔵野以外の土地の面白さに気づいてしまった。

 

郊外はどこも同じチェーン店で同じ街並みみたいな話をこの10年でよく聞くようになったが、自分はそんなことはないと思う。確かに各県の少しひらけた駅は同じ感じな気もするが(千葉でいうと柏とか津田沼とか市川とか)、そういった駅の一つか二つ先、電車に乗って行って見ると面白い街がまだまだたくさんある。

 

当たり前だが、その場所その場所に特有の地形があって、歴史があるわけで

そこから発展した街が放つ空気はそれぞれ違っている。

特に千葉の真ん中付近(駅でいうと、常磐線なら柏より東、京成線ならユーカリが丘よし東)には沼や湖、丘がたくさんあって地形とそこを開いて作った街並みはそれぞれ特色がある。

我孫子駅南口にある住宅街

我孫子駅に降りて、利根川もあるしまずは北口に降りたがこちらはまさに柏の残りみたいな雰囲気でつまらず、直ぐに南口に移動した。

高架下をくぐって南口の住宅街に入った瞬間に音が消えて興奮した。

こういう一人になれる瞬間は東京ではなかなかないので脳が覚醒する。

散歩の醍醐味を感じつつ手賀沼を目指すと、家の向こうに森のように木々が生い茂っているポイントが見えてそちらに歩いて見た。

地形としては丘に住宅街ができていて、坂を登った先に公園があったり、家と家の間に細い階段があったりと楽しい(これは染井野団地とかにも似ていた)。

特に、開発された団地ではないようで狭い道が無尽蔵に配置されているのは他ではなかなかない光景で良かった。

狭い道を抜けると、人の家の庭に出てびっくりした。

普通の道かと思ったら私有地だったらしい。慌てて抜けた。

 

知らない街を歩くときはできるだけ携帯で地図を見ないようにするが、

それは国木田独歩が武蔵野で言っていたように、角を曲がるたびに違った景色が見えるのが面白いからだ。

 

狭い道の先に例の森があって近寄ってみると文豪の資料館?だったらしい。

志賀直哉の話を思い出したので看板を見るとさらに先に志賀直哉の暮らした家があるようでそこを目指す。志賀直哉は暗夜行路を途中で諦めたくらいで、全く馴染みはないが文章は端的に美しいイメージがあったのでいつかきちんと読みたい。

ちょうど、”宿で死ぬ”という旅館をテーマにした怪奇アンソロジーを読んでいてその中にあった遠藤周作の短編が面白く、あの時代の日本の小説もちゃんと読みたいと考えていたところだった(庄野潤三とか、夏目漱石安部公房は読むが、芥川とか堀辰雄とかは苦手であまり読んでこなかった)

 

さらに進むと手賀沼の横に広い公園が併設されている場所に出て

そこまで人手がない中でキャッチボールやバドミントンをする高校生が数人いてすごく幸せな気分になる。ここにきてキャッチボールをやれたら楽しいだろう。

人の少なさというのはそれだけで救いのように感じる。田舎者なので。

 

公園からは手賀沼に沿って散歩道が伸びていたので歩いて見る。

 

本来は沼を見ながら歩ける場所のようだが、水害対策の工事中のようで土手の下を歩く。それでも土手の向こうから様々な鳥の声が聞こえてきて美しかった。

 

いろんな街を散歩していて不思議に思うのが、同じ鳥でも(鳩とか)その街によって微妙に形や鳴き声が違っていることだ。

東京のカラスは頭がでかい。富山だともっとシャープでかっこいいのだが。

 

30分くらい歩くと鳥の博物館という建物が見える。まさに旅する練習に出てきた建物だが、こう言った類のもの(館系と友達が読んでいた)は勉強をする意思を持たずに入ってもあまり面白くないのでスルーする。実際に本物が沼にいるのでそっちをしっかり見たい。

 

ちょうど日も暮れてきたので、博物館を起点に折り返して駅前まで戻る。

駅前にショッピングセンターがあったので本屋を除くと志賀直哉が売っていたので購入。

こういう場所のショッピングセンターは入るだけで楽しい。

菊地成孔がラジオで新宿の伊勢丹にいるだけでテンションが上がると言っていたが、自分は都会の人の多いショッピングセンターは嫌いだが、こういう人のまばらなショッピングセンターは大好きである。(店側としては余計なお世話と思うが)

 

京成線のユーカリが丘にも駅に直結したショッピングセンターがあって結構広めの本屋や楽器屋、そして映画館があってここには全てが揃っているなと思ったことも。

 

我孫子のショッピングセンターには映画館はないようだったが、良い雰囲気でテンションが上がる。

 

土手の道を歩いて見たいのでまた来ようと思いながら常磐線に乗って帰宅。

 

というか、そろそろこういう場所に引っ越したい。