パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

海岸の陽、億光年

平日に外出する日が続いた。朝から電車に乗る習慣がなくなって久しいが、長時間電車で本を読んだり音楽を聞いたりすると、家と違った集中力の仕方をするので結構アイディアを思いついたりするから良い。

 

ノリで買ったJHSのmorning gloryの音がめちゃくちゃ良くてアガる。歪みエフェクターは個々の特色が強くて直列でつなぐと変な感じになることが多いがこれは自然に歪みを加えてくれる感じ。

 

先週買ったユリイカ小津安二郎特集の影響でまたみかえしている。長屋紳士録があまりに良くて泣いてしまいそうになった。自分は小津安二郎が撮る外のシーンが好きなのだと気づく。孤児とおばさんが海岸で追いかけっこをするシーンはその意味(子供を捨てに来た)と反してコミカルに描かれるが、カットのわりかたカメラの位置が混乱していて、さらに小津特有の室内描写でもないため画面の前後に対比となる対象物も少ないので人物の位置関係に混乱する。少し古井由吉の小説で浮かぶシーンの非連続な感じにも似ているなと思った。

 

梓義朗さんの単行本(浮・遊・感・覚)が届く。タイトルがふ・た・り・ぼ・っ・ちみたいでよいなと思いながら読む。この人でないと感じ得ない変えがたいものを書いているなと思う。そういう意味ではいつか大島弓子のような傑作を書いてしまうのではないかと期待してしまった。

最近、小学館のウェブ漫画編集部の人たちを撮影した動画を暇つぶしに見たりしていて動画としては面白いのだが、ここでやろうとしている漫画はあくまで漫画の深化であり、いわゆるポップス感覚だと思った。

浮・遊・感・覚の作品が載っていたのもウェブ媒体のトーチだったが、トーチの漫画は割と漫画以外で表現した方が良さそうなものを無理やり漫画にしているように思う。自分の好みとしては完全にトーチ側なのでそちらの漫画をよく読んでいるのだが、どちらが正しいというわけでもないだろう。そのどちらもきちんとあるという今の状態は結構好ましいことなのかもしれない。(自分のいるゲーム業界は割とアンリアルエンジンなどの影響で均一化に向かっている)

 

https://www.youtube.com/watch?v=au1rvmOAuBE

 

ユリイカに乗っていた島田虎之介の漫画に惹かれて単行本をいくつか買う。東京命日を読んで、これも文学の範疇にある物語だと思ったが、この人の場合は絵の技術やコマ割りで漫画化してしまえるので漫画として読めてしまう。(五十嵐大介もこの感じ)ラストワルツはアメリカ文学でリチャードパワーズヴォネガットだなとも思うが(あとがきにも書いてあった)、読む人にきちんと漫画として伝わるようになっていてすごいなと思うし、上記で書いた小学館とトーチのちょうど中間あたりに位置していると思った。大島弓子は漫画としては読みにくい(というか画面の読み方を知らないと読めない)が、読み解けた時の快感、沼にはまってゆく感じはやはりあの人にしかない独特なものだ。どちらが優れているというのはないが、日々の中で立ち止まって考えたり読み返したりするのは謎が多い作品だったりはする。

 

バンドメンバーが書いた曲に歌詞をつける。元は曲を書いたメンバーが歌詞も書いていたが、結構苦戦している感じだったので意図を汲み取りつつ修正。自分にない譜割なのでいままで思いつかなかったような語彙が出てくる。2時間くらいでさらっとかけたがかなり良い感じ。軽く歌ってメンバーに送る。反応も良かったのでこれで決定。

 

EL NEGRO&ROBBY AT THE THIRED WORLD WARを買う。アメリカンクラーヴェ。冒頭がローリングストーンズのカバーだったり、ファンクやロックのリズムを使っていたりしてアメリカンクラーヴェの中でもっともロックよりなアルバムのように感じたとても良い。愛聴盤になる予感。

 

再来週に京都に行くことになったので色々準備をする。