菊次郎の夏が観たくなさすぎて小津安二郎の晩春を観たらあまりに良すぎてその辺りの映画を観直す。晩春、洲崎パラダイス赤信号、永遠の人、東京物語。
小津安二郎をほんわか映画みたいな感じで捉えている人っていまいるのだろうかと思うが、この本が書かれた時は古き良き日本みたいな捉え方をされていたんだろうなと思う。東京物語や晩春の脚本だけ見ても答えの出ない(出さない)問いに対して、複数の視点で語り、それとは別に本筋の物語があるわけだが、本筋に流されるとただの家族って大切だよね見たいな娯楽映画に誤読してしまうのもわかる。(それでも全然いいのだが)ただ、どちらの作品もその本筋が終わった後の後日談が挿話として入っているのだから(晩春で慟哭する父、東京物語での紀子と京子の会話)それをやりたかったというのがほんとのところだろう。そして答えは示されないまま映画は終わる。
もうちょっといろいろと考えたいところだが来週から一週間海外なのでそこで施工しようと思う。(曲作りが煮詰まっているので逃避行)