パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

優雅で感傷的な日本野球

フィリップロスの素晴らしいアメリカ野球の原題はThe Great American Novel。

野球の話だがBaseballの文字はない。

野球=文学。

 

旧中川〜荒川沿いを自転車で走った。川沿いに行くと草の香りや春っぽい風が出ていて良い感じになれる季節。

 

荒川沿いでよくキャッチボールをするが最近はキャッチボール相手の友達に子供が生まれたりで忙しそうであまりやれていない。それでも休憩がてら荒川を自転車で走ったりするだけで気持ちが良い。いつもキャッチボールをしている場所から少し離れたところまで走ってみるとまだ知らない景色があったりする。(多分以前にもきているのだろうが、季節が違うと感覚も違うので別の景色のよう)

数年前に異様にアメリカの小説を読みあさっていた時、自分の好きなアメリカ文学に野球に関係するものが多いことに気づいて、そういう視点で色々漁っていた時期がある。

W.P.キンセラ、R.クーヴァー、フィリップ・ロス、スチュワート・ダイベックジョン・アップダイクリング・ラードナー、バーナード・マラマッド。どの作家も印象的な野球の小説を書いている。

 

ジョンアップダイクは野球場から郊外の家まで若者たちが酩酊しながら歩いて帰るだけの小説を書いていたが、夏の夜の匂いがするような美しい文が今でも映像とともに思い出せる。

 

ARAKAWA RIVER

 

WBCや選抜など野球が始まりだす季節でなんだか楽しい。

プロ野球には興味がないか、トーナメント戦のWBCや甲子園は好きで毎回見ている。

 

甲子園の中継を見ていると、過去に出場した人たちが観客席に観戦に来ていたりして、昔の話や伝説の試合が紹介されたりする。現在のその人は(当然ながら)過去の高校球児だった頃とは違ってしまっているのだが、その人たり得る何かがやはり宿っていてそういったところになんだか感動してしまったりする(白球の記憶はちょっと感傷的過ぎる気はするが、その遍在性を感じることができる)

中学生の頃から"新日本紀行ふたたび"という番組が異様に好きでずっとDVD化か配信をして欲しいと願っているのだが、この番組も同じように過去のある地域の映像と過去出演した人の現在の姿を並列に紹介する。子供の頃に親の仕事を継ぐと話していた男の子が、大人になり実際に仕事を継いでいたりする。それはその人からしたらある程度連続したストーリーとして結びつけられるだろうが番組を見ている側としてはその間の抜け落ちた時間の膨大さに唖然とする。過去の映像にいた人たちが引っ越したり、死んでしまったり、変わらずに生きていたりする。

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他のスポーツはあまり見ないので違いはわからないが、

野球は一人だけでは点が取れない仕組みなので(ホームランはあるがそれだけでは勝てない、ピッチャーがすごくても点が取れなくては勝てない)、その人と人の違いやその人の固有性が試合中にでも浮かび上がってくる。

ムードメーカーがいたり、すごい技術を持った人がいたり、代々家族が甲子園に出ている人がいたり。その固有性はその人がそこに至るまでに出会った出来事が少しは関係しているだろう。

そういった固有性、唯一性がその出来事を知らない自分にほんの少しだけ伝わってくる時、

"新日本紀行ふたたび"で感じるような膨大な時間の闇の中に一瞬だけ光が差して、その瞬間を共有できたような錯覚を覚える(確実にそれは錯覚であるのだが、錯覚であることによってそれは優雅で美しく感傷的だ)

あなたがそこにいて、そこに至るまでにかつてあった膨大な時間があって、それと同時並行に全く関係のない場所で、それでも少しは関係をした私の時間があって、それをテレビを通して一方的に見ている今があるという状況は文学が行おうとしている時間操作とほとんど近しい。

それはこれから知れる可能性があるという意味では希望と言えるし、

その絶対的な時間との乖離性から絶望とも呼べる。