レヴィ=ストロースの著作を読みかえしている。
サンタクロースに関する論文を読んだことがなかったが中沢新一の訳で出ていたので購入。
構造主義は字面やwikiの流し読みだと、単なる文化の共通項の洗い出しのように見えてしまうがこの論文を読むとそのラディカルさがわかる。
文明化された思考を野生へと回帰、もっと言うと退行まで持っていこうとする姿勢。
その簡潔な例を読むことができた。
夜の音楽。
夜に付随する世界で、光のない世界で、俗物を、商業主義を、見栄を、威厳を発揮することは難しい。そこにあるのは地面と振動と触覚から伝わる体温とそして構造があるだけ。
最先端が最高峰とする文明の底に眠る構造が夜の闇によって這い上がってくる感覚は自分の中にもある。
若さと、その反逆性は否定すべきではないがその向こうにある自滅と、過去へのノスタルジーへといたる破滅を隠すべきではない。それは大人が教えることでもある。
先週、Rafael Martiniの来日ライブを見た。
オーケストラで録音されていた音源をデュオで演奏していて、その構造の力強さにとても感動した。Rafael Martiniからはブルックリンインディー(特にアニマルコレクティヴ)とその先のフィリップグラスに対する意識を強く感じる。
どちらも反復性の中からその組み合わせによって胎動(グルーヴ)を作り出している音楽だ。
ただ、アニマルコレクティヴには仮初めのような野生しかないが(そこが魅力でもあるし、アメリカ的でもある)、Rafael Martiniの音楽を聴くと本物の森の暗闇を思い出す。
アニマルコレクティヴの構造の中にあったブラジル的野生が彼の音楽の中で蘇っているように感じる。
音楽のための音楽というものに惹かれてしまうし、自分が作ってきたものも無意識的にそういう歌詞が多い。
”回線は一生 眠りながら ダンスパーティーの夢を見ている"
badbadnotgoodのTalkMemoryはとても良いアルバムで去年からよく聞いている。
そして(なにかの企画なのかもしれないが)あのアルバムの曲を他のバンド/ユニットがカバーしている動画がたくさんあってどれも素晴らしい。(というかぶっちゃけ本人たちのライブ演奏の方がショボい。。)
録音物としての反・反復性ということを考えていて、
録音されたものをそのままライブで演奏するとして、
録音と瓜二つのように演奏することはできてしまうが
むしろその構造だけを残して全く別のものに変えられてしまうような(それほど強い構造をもっているような)曲に惹かれる。
エリックドルフィー が
When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again.
と言っていたように、たとえ録音物だとしてもその反復性は人生のある時期において変化していく。(付随ではない、構造は変わらず付け加えられずに捉え方が変わっていく)
いま、自分は夜の音楽というテーマで曲を書こうと思っている。
むき出しの野生の状態まで戻した音楽をバンドで演奏してみたいと思っている。