パラレル通信

composer/Gaspar Knowsの中のひとり/神楽音楽研究中。 平日は某ゲーム会社にいます 連絡→outtakesrecords@gmail.com

PLAYTIME

今週になってから、なぜか立て続けにお誘いの連絡が複数来て少し忙しかった。(ライブとかご飯の誘いだけど)。

パスポート関係の処理で久々にゆりかもめに乗ってビッグサイト周辺へ行った。

ceroの新譜が出ていたので道々で聞いていたが、ポリリズムを使っているがいわゆる前作までのクロスリズムでなく、よく聞かないとわからないところまで解体しているのが面白い。日本人はリズムへのリテラシーが低いとされているが、確かにここまで解体されてポリリズムとわかる人は少ないように思う。ただし、それが悪いという訳でなく自分としては前作のわざとらしいくらいのポリリズムの構造は少しリスナーへの配慮をしすぎな気もしていた。

ceroのメンバー自体がポリリズムへ初めて意識的になったということもあるかもしれない。ファーストのマクベスでもクロスリズムは使っているが、あれはスフィアンスティーブンスの引用で無意識にポリリズムになっていたように思う。それに対してPLMSではもうわざとらしいくらいにクロスリズムの転換点を作っていたので提示の仕方を意識していたように思う。

新しいアルバム(eo)の間に各メンバーがそれぞれソロを出していたが、自分としては荒内氏のソロがダントツで良くて、ライブにも行った。(ライブでカバーしていたアーサーラッセル もすごいよかった)あのソロの感覚がeoにも反映されているように思う。

 

クロスリズムの場合は二つのリズムを同時に鳴らす必要があるが、それだけがポリリズムではない。ピアノのフレーズに対してポリリズムのかけらを示すこと(完全にリズムを示さないこと)でクロスリズムでは2パターンしかなかったリズムの重なりが聞いた人の頭の中で分岐する。たとえば①と②のリズムがあって、上物が①のリズムだったとして②のリズムのかけらをポリリズム的に鳴らすと、それは①でもあるし②でもありうる状態が生まれる。つまり三つの状態を(可能性を)含んだ形でリズムが出来上がることになる。量子力学の不確定性の考えにも通ずるやり方ですごく良いなと思った。(よくよく考えると自分も無意識でそういうアレンジをすることはあるが、意識的に編曲に取り込むことで曲の発展のさせ方が変わってくる)

 

例えばフランクオーシャンもリズムを取り払って音楽を作っていたが(最近はまたビート感が出てきているが。このあいだのライブでもwhite ferrariが四つ打ちになっていたし)、あれはリズムなしの0の状態とリズムがある状態の重なりであって、ceroとは階層が異なっているように思った。ただし、フランクオーシャン のやり方をすると拍の概念を取り払うことができ、曲でも奇数拍が多く使われる。

 

0:リズムなしの状態。

     ⬆︎

 フランクオーシャン はこの0と1を行き来できる。

     ⬇︎

1:一つの固有のリズムが発生する状態 ・・・通常の曲はココ

     ⬆︎

 クロスリズムの領域

     ⬇︎

2:二つのリズムが同時に発生する状態。クロスリズム、ポリリズムの領域。

 

ceroのやり方だと上記の階層を俯瞰で見る感じになる。

つまり0~2の関係性が消えてそれぞれが同時に存在している。

 

私生活で忙しかった平日がすぎて休日はバンド練習。ceroの話をしたりするが、自分たちは三人のバンドをやっているのでそういう分解の仕方は危険も伴うなと思ったり、やってみるのもアリかと思ったり。

今仕上げている曲がかなり良い感じなので、夏には録音まで移れそう。

帰りに大学のときの知り合いが東京に来ていたので飲む。

 

ジュリアングラックとかフラナリーオコナーといった重い小説ばかり読んでいたので、少し軽い本を読みたくなって本屋で物色。

 

 

二十四の瞳の小説を読んだことがなかったなと思って購入。あんまりハートフルな田舎生活っぽい小説は読まないのだがこれは素晴らしい。一本松の見える対岸の村という視覚的な仕掛けを小説としてきちんと文章で表せているのがすごい。そしてその立地を使って進められる話もうまいが何より人物の描き方が良い。そこにその人がいる感じ。

 

そういえば最近ウォルトディッカーソンというヴィブラフォン奏者を知ってかなり聴き込んでいる。1976というアルバムがめちゃくちゃ良くて、ヴィブラフォンに興味が出てきているが、他のアルバムを聴くとなんだかようわからんものもあったり謎が多い。70年代に10年ほど疾走していたようなので人物としても面白い人なのかもしれない。

 

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